和びさび心

今ここ、真・善・美・聖・和を観て、新しい出会いと感動が生まれていく Life style を発信しています。

自己否定することの意味 

突然ですが、自己否定と聞くと

みなさんはどんなイメージを

持つでしょうか?

 

世間では、その反対として

自己肯定感を高めようとか

自己肯定感を持てる子供を育てるには?とか

話題になったりもしているから、

割とマイナスイメージを持つ方が

多いかなと思います。

 

確かに、自己否定って、

自分を愛せないことや

自分に自信を持てないこととか

 

苦しい、辛い気持ちになるし、

このままじゃいけない、と思って

必死になって

そのマイナスを何とか

プラスに前向きにしようともしがち。

 

けれど、、

どんなにプラスに考えられるようになっても

心の奥底には常に相対的な

マイナスが無意識に居座り続けていて、

 

それが発動する条件が起これば

マイナスの面を無視して

無理やりプラスの方向に

向かおうとした分だけ

 

その反動であっという間に

真っ逆さまにひっくり返って

しまいかねないことでもあるのです。

 

だから、本当の自己肯定感というものは

マイナスからプラスに

変えようとすることではなく

どんな条件にも支配されず、

支配することもせず

絶対的な安心(究極の心の平和)と

絶対的に揺るがない自信感が自然と溢れる

基準点を持つことだと思っています。

 

実際私は、自己否定が相当強く、

昔は本気で自殺だって

考えたこともあったような人間です。

 

けれど、nTechと出会ってからは

その基準点から観ると、

自己否定ができるということは

AIや動物にもできない、

人間にしかできないことだという

大きな拡がりと裏付けと意味を持って

認識できるようになりました。

 

実は自己否定は、

AIも動物も植物も絶対に到達できない

人間にしかできない、

人間であれば誰でも到達ができる

「本当の変化」の扉を開く鍵であり、

 

宇宙も時代もすべてが応援して、

本当のあなたは

どれだけすごいのかを気づかせるために

どれだけの力やエネルギーが動いて

一人一人に働きかけているのかが

観えるようになると、

 

今までのように

ただ自分を小さくさせる

考えや感情に支配されて

何も行動できなくなってしまう時間の

費やし方は減り、

 

無理やりプラスに思い込ませて

エネルギーの消耗が激しくなって

疲れてしまうことではなく

 

力が抜けた状態で自然に

よし、やってみようという

エネルギーの生成をすることが

できるようになっていたのです。

 

その基準点から観れば、

人間がどれだけ偉大で、

一人一人が唯一無二の

尊厳溢れる素晴らしい存在なのかを

感じるからこそ、

 

自ら命を絶つことは

どれだけ悲しいことなのかを

より深く涙を持って認識し、

全ての人の孤独を解放したいと

思うようになりました。

 

自らの考え感情行動を制限させる

エネルギーのアルゴリズム

解除できるようになると、

 

自分一人だけで頑張ろうとする力が抜けて

人との関係性を

安心の共通土台から築きあげ、

自然とチームプレイを

楽しめるようになってきました。

 

鬱や自殺が毎年2~3万人も

出ているという日本は自己否定が強い人は

本当に多いと思いますが、

それだけ繊細な心を持つ日本だからこそ、

AIが真似できない、

人間にしかできない無限の可能性を

花開かせることができるし、心の時代を

リードしていく国になれると

確信しています。

 

~  厳しい冬を超えて、

満開に咲く桜のように

今の時代を生きる一人一人の心にも

美しい花が咲き誇りますように。 ~

 

私の心から生まれてきた言葉たちを、

読んで下さってありがとうございました🌸


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卒業間近

今日は、約9年くらい担当させていただいた

お客様のお宅に伺う最後の日。

初めて入らせていただいた頃は

私も26歳で、お客様の娘さんは

まだ小学生だったのが、いまや

大学生と高校生になっているというので

年月を感じてとても感慨深かったです。

 

そんな今日、ご挨拶をしたときに、

お客様がプレゼントを

用意して下さっていたようで、

帰り際に渡してくださいました。

 

「新天地でもどうかお元気で

頑張ってくださいね(^^*)」

 

思いがけないプレゼントにとてもびっくり&

とても嬉しい気持ちになりました( 〃▽〃)

 

こんなお心遣いが素敵だなぁ。。

お店に足を運んで、

これをプレゼントしようと

選んでくださった、そのお気持ちが

何よりも嬉しく思います(*´-`)

 

本当にお世話になり、

本当にありがとうございました!!( ;∀;)


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古きよき和心散策ツアー

今年に入って、

これまで着物を着て街歩きをする和心散策ツアーを開催していた仲間と

ご一緒させていただき、ちょこちょこ参加もしながら主催側としての

動きもやり始めています。

 

まだまだ着物の小物が揃っているわけでもなく、

着付けも下手な私ですが、

文化を伝えていく一人として地道に身につけていきたいものです(^^)

 

着物の素晴らしさや、着物を着て和心を目覚めさせることができる活動を

しながら、たくさんの仲間もつくっていきたいと思っています!

 

毎月開催していますので、ご興味ある方はメッセージください♪

 


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出会いと別れと


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今年も入って2ヶ月。

もう3月に入ろうとして、春が確実に

近づいていますね😊

 

寒い中でも、もうすぐ春だと

心待ちにする趣きを感じさせる季節。

 

新たな出発、旅立ちと

出会いと別れをいとおしむ気持ちを

大切にしながら、今日も一日を

豊かに過ごしていきましょう🌸

 

本当の礼儀って何だろう③

本当の「礼」、「礼儀」の真髄を知って、

自分が日本に生まれた意味を

考えるようになりました。

 

私は、nTechとの出会いを通じて、

人間の尊厳、人間の偉大さ、

素晴らしさを知り、

人間に対する愛と、

人間の可能性に対する希望と確信を

持つようになったのも合わさって、

 

改めて自分が今の時代に、

この日本で生まれた意味や

使命みたいなものがあるんだと

感じるようにもなり、

どんな生き方をしていきたいかを

立ち返るきっかけにもなりました。

 

人生とは、どんな人間になって、

どんな関係性を築き、何をするのか。

 

人とともに笑い、人とともに泣く、

心そのものが「礼」だとするなら、

 

私は、今の時代に生きる人との出会いを

これからも大事にしていきたいと思います。

 

どんな人も、

傷ついたことなどいろんな涙を持って

今を一生懸命に生きている。

 

心と向き合うことは

勇気が要ることではありますが、

 

その一人ひとりの涙に寄り添い、

新たなことに挑戦していく人たちと共に、

 

全ての人たちが

ますます夢や希望を持って生きられるような

社会創りに取り組んでいきたいと感じています。

 

さてさて、2019年も2ヶ月が過ぎようとしていますね。

亥年、私は年女。

たくさんの人との出会いを楽しみながら、

今年は「猪突躍進」で参ります!!

 

 


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本当の礼儀って何だろう②

 そんなことを考えながら、

そもそも「礼」って何だ?と、本やネットで調べてみたところ。

武士道や、武道においての礼の精神と出会います。

そこで、私はかなり衝撃を受けました。

 

武道においての礼をみてみると、

「礼儀とは、他人に悪感情を持たれたくないがないために行うものではない。

そのような表面だけの礼儀は、自分を孤立させ、

他人を気持ちの中で拒絶する、いわば鎧のようなもので、

決して命ある動作とは言えない。」と、あったのです!

http://www.zendokai.jp/budo/

 

武士道においては、

「品性の良さを失いたくない、という思いから発せられたならば、

それは貧弱な徳であると言えるだろう。」とあり、

 

この本文を読んで、衝撃を受けるとともに、

「礼儀正しい子は好かれるから」という願いのもとで

そうなるようにという枠の中で窮屈感を抱いていた私にとって、

心の底から「そうそう!これだよ!」とすごく納得する感覚が生まれていました。

 

 

そして更に、

武士道についてネットでいろいろ調べてみると・・・

 

「武士道は、人が人として行うべき道徳を

単に内面の精神のみに閉じ込めておくのではなく、

行動の美学、型としての【礼】を作り上げてきた。」

 

「他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することが【礼】であり、

【礼】の最高の姿は愛に近づく。」

 

「【礼】に必要な条件とは、

泣いている人と共に泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。

【礼】とは慈愛と謙遜から生じ、他人に対する優しい気持ちによって

ものごとを行われるので、いつも優美な感受性として表れる。」

 

・・・なんてこった。。

「礼」とは、「人とともに喜び、人とともに泣けるか」の

心そのものだと知った時、私は何だか涙が出てきていました。

 

これは、私がなりたいと感じていた人間像だったと認識したとともに、

なんてすごい名前を授かったんだろうと感じたんです。

 

つづく

 


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本当の礼儀って何だろう①

今回は、私の認識の変化についてひとつ、

綴ってみたいと思います。

 

私の名前は「礼」と言うのですが、

これは親の願いが込められていました。

 

「礼儀正しい女性は好かれるから

そんな人になって欲しい。」

 

以前にも書いたことはありますが、

特に母親から

そんな人に育つようにと厳しく

教育を受けていて

 

字は綺麗で

挨拶もして

いつも笑顔で

思いやりの心を持つことを

求められていました。

 

幼少期から私は

なんでこんなことしないと

いけないんだろうと

その形にはめられる感じが

あまりに窮屈で

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

親に反抗的な表情言動態度を取れば、

「そんな表情とか態度をしていたら

友達できないよ」と言われ、

 

「この社会で生きていくには、

その仮面を被らないと

生きていけないんだ。」と思い、

我慢して日々の生活を送るという、

そんなジレンマを

常に抱えていたのです。

 

そして、自分の名前も

嫌で嫌で仕方がなかった。

 

でも、名前って、

その人の人生、生まれてから死ぬまで

一生つきまとうものだから、

 

心の奥底で

礼儀とは何なんだろう?という

疑問を持っていました。

 

確かに社会に出て、人間関係築く上でも

必要なものだと思うけど、

親が言ってくることは

なぜこうも納得がいかないんだろう?

 

本当の礼儀とは何なんだろう?

そんなことを無意識に

ずっと考えていたのです。

 

つづく


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