私の人生の変化ストーリー①
こんばんは😃🌃
先日、
「心からの笑顔でいられる毎日を」と
いうような記事を投稿しました。
ここの記事でもあるように、
周りの目を気にして、
いつも笑顔を作って、、というようなのは、
むかーーーしの自分でもありました。
そんな私が、ブログ記事で綴ったように、
認識技術nTechやNohさんとの
出会いを通して、
生き方の土台が丸っきり変化したことを
これから何回かに分けて
書いてみようと思います(^^)
まずは、nTechと出会う前の私が
どんな人生を歩んできたのかを
お話しますね。
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笑顔の仮面を被る「私」を
創り始めた幼少期
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私の母は教育熱心で、
私の幼少期から
「社会に出て恥ずかしくない
人間になるように」の大前提のもと、
「男は度胸で女は愛嬌が大事」という
指針に基づいて厳しく躾をしてきました。
私は「礼(あや)」という名前を
授かりましたが、
これには親の願いがたっぷりと
込められています。
「礼儀正しい女の子は好かれるから
そうなりますように」、
呼び方の「あや」は
名前辞典をあったそうで、
「れい」よりも「あや」の方が
可愛いと感じたので付けたそうです。
とにかく、女の子らしく
育って欲しかったのですね(^^;
とは言え、
そんなに上手いこと
子は育つとは限りません(笑)
母は、「女の子はこうあるべき」と
いういくつか指針を持っていて、
①いつも笑顔でいること
②ちゃんと挨拶ができること
③人に迷惑をかけないこと
④身だしなみをきちんとすること
⑤字が綺麗であること
⑥お手伝いをすること・・・
ということを毎日のように言うのです。
当時の私としては、まだまだ
小さい子供で自由にしたいですし
「意味がわかんない!
なんでそんなことしなきゃいけないの?」
と、女の子はこうあるべきの
型にはめられるのが大嫌いで、
とにかく反抗していました。
とにかく、毎日が戦争です。。
反抗しても反抗しても、
親の論理を跳ね返してくるし
母の指針とは違う行為をすれば
更に厳しくなるし、の繰り返しでした。
どうせわかってはもらえない、という
気持ちもどんどん蓄積されていきます。。
そして小学校に入学する前のある時。
私が怒りや不平不満たっぷりの
態度や表情をやり続けていると、
「そんな顔をしていたら
誰も友達できないよ」と母に言われ、
「友達ができなくなるのは嫌だ!」
というショックや危機感から、
゛笑顔の練習 ゛をするようになりました。
当時6歳くらいですね。。
それが「笑顔の仮面」の始まりです。
さて、、そんな幼少期から仮面を
作ってきた私はどうなってしまうのか。
また続きで投稿していきますね🙇